あの頃HSPという言葉を知っていたとしても

20年ぶりにこの町に再び住んで
思うのは、高齢者が多いせいなのか
どこの店に行っても、店員さんが…

やさしい。
すこぶる優しい。

人、少ないしね。
のんびりしてるしね。

四半世紀も前、アウェイ感満載で
住み始めた頃のことを
思い出さずにはいられません。

むかーし、むかしの
ある日、スーパー内のお肉屋さんで
レバーを買いました。
まだ料理もろくにできない20代の私。
肉屋に行くのも、肉屋でおじさんに
レバーを口頭で注文するのも
全てが初体験。
緊張していました。

でも、しっかり言わないと!
と思い
「レバーを200グラムくださいっ」
と言うと、おじさんから
「何作るの?」
と、まさかの質問が返ってきて( ゚д゚)

想定外の展開にアワアワしながらも
「れ、レバニラですっ」
と答えると
「じゃあレバニラ用に薄く切るね(^^)」
と言って
ちゃーんとそのようにしてくれました。

私は、肉屋では肉の切り方まで
リクエストできることすら
知りませんでした。
なんせ、はじめてだったからw

親切に対応してもらって
とてもホコホコして帰ったことを
今でも覚えています。

もう一つは、ある秋の朝
アパートを出た所にある、戸建の玄関前で
おばあちゃんが日向ぼっこしていました。
私が無言で通り過ぎようとしたら
「おはよう(^^)」
とニッコリしながら
やさしく声をかけてくれて…
「お、おはようございマス(^^)」
と挨拶しました。
あの時も、ホコホコしました。

その後、私は
今度会ってまた挨拶するのを
楽しみにしていたのに
残念ながら
二度と会うことはありませんでした。

この二つのささやかな出来事に
なんかものすごく、救われたんですよねー

それくらい
辛い結婚生活だったんですよ(-“-)
(1回目ね)

あの頃を振り返ってみても
なぜあんなにも辛く苦しかったのか
いまだに分かりません。
当時の夫や義父母もみんな
やさしかったのにも関わらず
私だけが、辛くてたまらなかった。
彼らも困惑していましたし
私も、混乱していました。

そういう心理状況だったので
思い出したくもないような嫌な人達にも
たくさん出会ったし、逆に
一生忘れられないような
素晴らしい出会いもたくさんありました。


…あああー

どれだけ考えても分からなかったのに
今、分かりました。

HSPと、非HSPだからだ。

刺激が強すぎて
キャパオーバーしてたんだわ。

あの頃は、HSPなんて言葉はまだ
日本に輸入されてなかったのかもなー

改めて考察してみると
前夫と姑は、非HSP。
舅や義姉は、HSP。
姑が特に苦手だったのは
中でも一番の非HSPだったから。
良い人だけど、良い人なのに、
めちゃくちゃ苦手で嫌いでした。
なんか
優しさの種類が違うっていうか…
嫁姑問題の原因に、これもありそう。
義姉や舅の方が、話しやすかったのを
覚えています。

かたや、私の家族は全員HSP。
HSPオンリーの家で育った私には
「ひとり充電時間」が必須だったのに
前夫家では、それが全くできなかったのも
混乱の原因でした。

HSPと非HSPが一緒に暮らすと
非HSPのペースになるもんね。

ちなみに今の夫は、HSPです。
夫との生活が至って穏やかな理由は
HSP同士だから、というのは
HSPという言葉を知った時に
すぐ分かったけど
前夫一家は、混合家族だった。
だから、あんな感じだったのか…
というのは
今の今まで、なかなか気づけませんでした。
あー、スッキリw

彼らは混合家族だから
お互い譲歩しながら暮らしてたんだろうけど
私は純粋培養で育ってきた上に
算命学でも、私は極度の頑固モノでw
柔軟性が無く、周りに合わせられない。
合わせてもらうしかないから…
田舎の嫁業なんて…(-“-)ムリゲー

その後、一人になった時
この町での思い出が重すぎて耐えられず
少し離れた場所に住みました。

でも、ココが悪かったわけじゃなかった。
そして
ただ上手くいかなかっただけで
誰も悪くなかった、と
今になって気付けてよかったです。
やっぱり、自責の念は強かったからねー
なんか、肩の荷が下りた感じ。


ここの人々は、あの頃と変わらず
優しいです。

そして私は、今
一人でココに住んでいます。
もう、混乱することもありません。

やっと、過去を払拭できそうです。

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